2009年8月 8日

父逝く

今日突然父が他界しました。入院先の病院で。

朝弟から連絡が入り、病院から容態がいつもと違うので来てくれといわれたから俺にも来てくれって。すぐさま病院へ。病室に着くと親父は眼をつぶって口には酸素マスク、激しく腹を動かして呼吸している。血中酸素が朝50くらいまで落ちてたらしく、駆けつけたときは85くらいまで回復した状況だけど、決してよくない。弟は俺が来る前に個室に移動させてくれるよう依頼していた。弟と二人で親父の横に付き添いながらモニターを見ていた。あと10上がれば落ち着くと思うけど、一向に変化なし。しばらくすると88くらいまで上がってきて期待できそうな感じになったところで個室の用意ができたので移動。ところが。。。

移動してから状況がまた悪化してしてきた気がする。そこからが実に早かったな。どんどん血中酸素が落ちてきて、呼吸数も見る見る落ちてきてしまって、、、最後は当直の先生が来て一言、呼吸も心臓も止まってますって。実に静かに逝ってしまった。隣で泣き崩れる弟、呆然とする俺。11時40分、72歳だった。楽に逝けたのかな?苦しまなかったかな?途中看護婦さんが呼んだとき、一瞬眼を開けたけど、意識はあったのかな?苦しんでなかったらいいな。月曜日に気道を広げる器具をつける予定だったのに。あと2日だよ、そこまで行ければもう少し生きられたかもしれない、いや、もしかしたらもっとかもしれなかったのに。弟が昨日見舞いに来たとき、確かに前日よりちょっと苦しい感じだと言ってたらしいけど、月曜も頑張ろうって言ってたんだって。

でも今日亡くなることは親父が選択した気がする。ちゃんと俺も休みで時間が取れる時間に逝った。一昨日親父の見舞いに行ったその前夜、オフクロが治って親父の見舞いに来た夢を見たんだよね。それで安心しちゃったのかなぁ。子供二人がいる所で逝くなんて、お互いよかったと思うし、最後まで優しい父だったと思う。俺は認めたくなかったのか、真っ白になってしまったのか、しばらく泣かないでいたんだけど、急にこみあげてきて俺も泣き崩れてしまった。相当な覚悟は既に出来ていたけど、こんなに突然この瞬間が来るとは思いも寄らなかった。

売店で荷物持ち帰る袋買って、浴衣買ってヒゲ剃ってもらう。弟が葬儀屋に連絡して、迎えに来るのを待ってる間、俺は親父の預金をおろしに行った。病室に戻るともういなくて葬儀屋へ。あまりに家が汚いもんだから、親父家に戻らず葬儀屋で安置。んで葬儀屋に着いてしばらくしたら葬儀の打合せ。親父ここ(やすらぎホール深谷)の互助会に加入してたんだよね。確かに互助会なしでやるより相当割安で葬儀が挙げられるみたいで、子孝行だな。

初めての葬儀だから分からないことばかりなんで、けぶさんにも来てもらった。こういうのすごく詳しいんだよね。あと隣組ってことでご近所さんにも来てもらって打合せしたり。途中猫の世話をしに家に帰ったら子供時代に住んでた社宅の近所だったおばさんがきてくれて少し話した。葬儀屋に戻り、夕方叔父(親父の弟)が京都から駆けつけてくれ打合せ再開。ほんと悲しむ暇もないほど葬儀の準備が忙しくて、かえって気が安まったかもしれない。

今日から葬儀屋に泊まる。ちゃんと泊まれる施設があって、ホテル来たって感じがするほど、いい部屋で意外。叔父、弟夫婦、けぶさんと夜は飲みながら過ごした。通夜は明日、告別式が明後日。あっという間に一日が過ぎていった。

俺って性格が親父そっくりだからよく分かるんだけど、お互いなかなかストレートに言えてなかったかもしれない。弟は思いっきりぶつけるんだけどね。でも性格を知ってるから何考えてるか聞かなくても分かってたつもりだけどね。親父は俺の性格が自分と同じってことあまり分かってなかった?でもこれからどうしようと不安になる。結局いつもどこかで親父のこと頼って甘えてたんだよなぁ。いなくなって分かる。親孝行もロクに出来てないし。寂しい。

重大なことなんで日記の方は飛ばしたけど追々埋めていきます。(後日談、やっと追いついたのが12月14日)

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